窮鼠はチーズの夢を見る
見終えた時、あの瞬間、私は何を1番に感じただろうか
今ヶ瀬に対する同情か、はたまた自分も同類に当たることへの絶望か
なんともいえ無い気持ちだった
誰かに伝えたいけど、上手く気持ちをまとめられない
恭一は限りなくクズでどうしようもない人だったけど、男は女、女は男と付き合い結婚して人生を共にするって誰が決めてしまったのか
見てて苦しくて逃げ出したくなった、早く終わってくれとさえ思ってた
恭一をビンタするシーンがCMであったからそれが無いときっと終わらない、だから早く、早く終わってくれと思った
でも終わってしまえばもう1度見たい、早く見たい、今度はストーリーではなくそれぞれの気持ちを考えながら見たいと思った
今ヶ瀬を思うと涙が出た
どうしようもないクズでだらしなくて、でも底抜けにかっこよくてその人だけが例外になる、その人が恭一だったんだ
どうしようもない気持ちってよく私は使うけど、そのどうしようもない気持ちを7年も抱いてた今ヶ瀬を思うとどうしようもなく苦しくなった
嫌いになれれば、出会わなければ、そんな気持ちになる時期はとうに過ぎてて、きっとそんな事も含めて、その人だけが例外になった結果がこれだと思った
映画を見ると、今ヶ瀬が恭一を好きになったきっかけはきっかけ大それたものじゃなかって本当に人目見た、もうそれだけだったんだと思う
だからこそ、その人がどんな名前でどんな性格で、何が好きで、誰を好きになるか、はたまたノンケか、そうじゃないかなんて、全く関係ない無くなる
それがその人だけが例外になるって事なんだろうと思う
先輩は家でコトコト料理作る女が似合うって今ヶ瀬がいうシーンがあるけど、その時点で、恭一の好みの女の時点でもう例外では無いんだろうと思う
この映画で私が1番印象に残ってる、
女が女としての特権を思う存分当たり前の顔して使うこと、すなわちCMでも印象深い「男と女だよ?」という一言
それに対する「俺はお前選ぶわけにはいか無いよ」という“個”ではなく女か、男か、そんなちっぽけな狭い世界線の一言
そんな選択をした恭一に何も言わず笑顔で肯定し送り出した今ヶ瀬も
これから何するかなんてわかってるのに、わかりきってるのに、いい子のフリして送り出すしか無い今ヶ瀬は見てるこっちが痛々しかった
もっと文句言っていい、最低だと喚き散らし、殴ってもいい、でもしない、しても何も変わら無いと、所詮女には勝てないと、越えれないとわかってるからこその選択だろう
そんな今ヶ瀬が唯一恭一に面と向かってキレたシーンがあった
たまきときっと付き合うきっかけになってしまったであろうシーン
本気の気持ちを初めてと言っていいほどぶつけられた恭一は、それでも穏やかで落ち着いていて、今ヶ瀬とは別の話をしているのか別の次元にいるのかと思うほどに冷静だった
唯一のシーンだったから割と意外だなと印象を受けたが、原作を見るとあまり意外なシーンでも無かったのかなと思った
原作では今ヶ瀬は恭一の女関係に口を割と出してるし、先輩の女関係知らないことはないと思ってくださいとも言ってた
でもあれはきっとおどけて、半分見た目では笑っていってたからこそ、あのシーンは今ヶ瀬の映画の長い時間の唯一と言っていいほどの“本気”のシーンだったのかと思う
私はあのシーンで唯一泣いた
どのシーンも心が苦しかったけど、あのシーンがわかりやすく、辛かった
本作に出てくる女たちはみんな女としての武器を存分に使ってたと思う
家庭を守り家事をして旦那の帰りをまつ姿も、男か女、SEXを引き合いにだした夏生も、自然に擦り寄り甘えた声を出して近寄る不倫相手も、彼シャツに伸びた細い白い脚に、料理もし、何を言われても笑顔の下敷きにしてたたまきも
男が喜ぶ全部載せみたいな女を前にしても恭一は上の空だった
側から見れば途中から恭一が好きなのは今ヶ瀬だった事は間違えなかったはずだったのに
気付くのが遅すぎた
そして、本気で愛して愛して愛し続けている人にとって愛される事も本気の感情をぶつけられる事もすごく怖い
愛されて愛されて過ごしてきた愛され上手な人は愛する方法を知らないし愛することを怖がる
今ヶ瀬が最後にとった選択はきっと、そういう事だったんだと思う
きっと、
そう
誰かから本気の愛情をぶつけられるのが怖かったんだ
ましてや、7年も思い続けた恭一には